第3の章        
             
         
 


























 法 話
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【久遠の法のいのち】 無常・無我の心理に生きる

与えられたいのちをひたすらに生きる

至信に合唱し、篤く三宝を敬うべし。三宝とは仏法僧なり。

一事に打ち込むこころの強さ
至心とは、まことの心、まごころをこめることでありまして、何事も信心をもってすることであります。また、何
もかも忘れて、一つの事に打ち込むこころでもありましょう。
最近聞いた話です。木枯らし吹くある黄昏、コートの襟を立てて、背をかがめて歩いていた若者は、街角
で易者から呼び止められました。
「あんた、まだ若いのになぁ、気の毒に死相が出ている」 
若者は、思い当たる節があったので驚き、死にたくない一心で、どうしたらいいのかと尋ねました。禅寺へ
でも行って修行してみたらどうか、という易者の言葉をたよりに、若者はある禅寺を訪れました。
来意をだまって聞いていた老僧は、若者の顔をまじまじと見て言いました。
「なるほどあんたは凶相をしている。そんな顔をしてはいかん。先ず、その凶相を取ってきなさい」
どうしたらこの凶相が取れるのか。若者の切迫した問いに老僧は、二年間、麦と大豆だけを食べるように
示唆しました。
若者は、港湾関係の仕事に従事しながら、死にたくない一心で、言われた通りに、麦と大豆だけで二年
間過ごしました。そして、再び寺を訪れますと、若者を見た老僧は、
「あんた、すっかり変わったなぁ、いい顔になった」
と言ったそうです。老僧が指示したのは食事のことでした。しかしそれを誠実に実行した若者の変わりよ
うは、老僧のおもいをはるかにこえたものでした。
若者は死にたくない一心から、至心に麦と大豆だけの食事に徹して、このように変わりました。
このことは、食物は単に身体を養うだけのものでないことと、至心の大事を教えてくれているように思えます。
ならば至心に合掌し、篤く三宝を敬うとは、どのような大事なのでありましょうか。
三宝とは仏と法と僧のことです。仏とは悟りを開いた人であり、その人の教えの内容を法といい、その教え
を奉ずる集団を僧といって、この三つは人生のかけがえのない宝であるというのです。
そこで「仏」ということですが、インド語(サンスクリット)の「ブッダ」は
目覚めた人の意で、中国の漢訳家は
これに漢字で「仏陀」という字を当てました。のちに「陀」の字が落ちて「仏」となり、わが国では「ほとけ」と
訓読しました。そして、わが国の先達は「ほとけ」を「ほどける」とシャレて解釈しました。むすぼりがほどけ
る。氷のように固着しない、自由に水の如く流れて止まない。癒着したり、執着したりすることがない心を
「ほとけ」というのだというのです。
なに一つ自分のものと固執するもののない、無一物の自由な心の持主を仏というのであります。

わたしがあなた、あなたがわたし、自他不二のいのちを生きる喜び

庭に目をやれば、松の緑が眼に入る。上を仰げば、空の青さが、はるか彼方には海が眼に入る。目には固
着したなにものもないから、縁に応じて、接触したものがそのまま眼に入る。無一物の心も同様であります。
無文老師の授業寺のお師匠さんでもあり、琵琶の葉療法で一世を風靡した気賀の今地院の大圭和尚さん
は延々とは浜名湖まで続く田圃を指さして申しました。
「どうじゃ良い景色じゃろ、これ全部わしのところの田圃じゃ」
客人が驚いて、
「これ全部ですか」
「そうじゃ、いっこうに小作料を持って来よらんわ」
と言いました。執着しなければならない自分のものはなに一つないから、目に入るもの一切はわがものな
のです。
人間が豊かになるとは、こういうことでなければなりません。
わが子とて同様に、決して親の持物ではありますまい。親の思うようになるのは、生まれた時に付ける名前
ぐらいなもので、あとは親の思うようにいかなくて当たり前なのです。縁あっての預かりものだからこそ、子の
主体性を尊重し、大事に薫育し、また縁に会うては手放していかなければならないのです。それはわが子
の尊厳なるいのちに至心に合掌することでもありましょうか。
さきの若者のように、人は死に直面して、いま生きていることの尊さ、有難さを知ります。末後に臨んで、幾
たりの人が自己に与えられたいのちを浪費しなかったと言い得ましょうか。生身の肉体のある限り、そうたや
すく迷執が抜けるものではありますまい。
古い、かびの生えたような道歌をもち出しますが、古人は、
  右ほとけ 左はわれと 合す手の
    中ぞゆかしき 南無のひとこえ
とうたっていることは知られるところです。しかし、この道歌を古くさいと思うほど、現代のわれわれにとって、
合掌ということは、できにくいことの一つになっているのではないでしょうか。
右ほとけ、とは、尊厳なるいのちに目覚め得た表白であり、左はわれ、とは、わが懺悔でもありましょうか。
合す手、とは、純粋なわがいのちへの感謝と、わが懺悔の自覚であり、厳粛なるいのちを生きる喜びの行
為でもありましょう。
古人はまた、
  唱うれば われもほとけもなかりけり
    うらのお池で かもがジャブジャブ
ともうたっています。合掌して仏を敬うとは、私だけが幸せになることを願うのではない。仏もわれもこえて、
わたしがあなた、あなたがわたしであると気付き、自他不二の心に、お池の鴨たちのように遊ぶ人へとい
ざなう、美しい形でもあると思うのですが、どうでしょうか。


無常、無我の真実に生きる

この世に在るものはすべて無常、無我である
天地創造の主であり、この世界を支配する絶対的人格神を容れない仏教の、最も初期、すなわち釈尊在
世当時の信仰対象は、仏・法・僧の三宝でありました。今日もこれに変りはありません。しかし釈尊滅後、
仏には三種の仏(三身仏)があると考えられるようになるのですが、釈尊在世当時の仏とは、釈迦族の王
子として生まれ、生老病死の苦悩を抱いて29歳で出家し、35歳のとき悟りを開いて覚者となった釈迦族
の尊者、ゴータマ・シッダルタその人であったのです。
仏とは、先に述べましたように梵語ブッダ(仏陀)の漢字音写の略称で、その意味は、暗黒迷妄の世界か
らパッと目覚めた人、悟りを開いた人ということです。釈尊在世以前からこの尊称はあったので、平安への
道を求めて修行を成就し、悟りの境地に達した人に対する普通名詞ですが、釈尊は何に目覚め、何を悟
ったのかと申しますなら、"法"すなわち、この世界の根源的真実に目覚め、迷心妄執を断絶する道を悟っ
たのです。この釈尊を仏陀というわけです。
根源的真実の道理とは、万人が共通して認めざるを得ない究極の真実でありまして、すべてこの世に在る
ものは「無常」なるもの、「無我」なるものであるということです。すべてが存在するこの自然には、大自然の
無常・無我という摂理があり、自然界の子である人間もまた、その本質は無常・無我であり、その肉体的生
命と能力に限界のあることを知り、自然の摂理を侵すことなく、真実の道理の如く無常無我に生きることが
「涅槃」すなわち、究極的平安のよりよき生き方であると釈尊は目覚め悟られたのです。
後に『雑阿含経』などで、三法印、三つの真理のしるしとして、
諸行無常……すべてのものうつりゆくとは、これ初めの真理なり。
諸法無我……この世にあるもの独りあらずとは、これ次の真理なり。
涅槃寂静……おのれなきものにやすらいありとは、これ終りの真理なり。
と示されるところです。

「法」と「縁起」が導く仏の道
この真実の道理である法からするなら、当然、天地創造の神と三世を浮遊する霊魂は否定され、神に当
るものは「法」であり、霊魂説に代って、無我の人生観、世界観(縁起説)の創造となったのです。
日本仏教の現実では、某霊位とか三界万霊とかいう位牌を安置し、祭祀を催しますが、これは、バラモン
教などでいうところの三世に浮動する霊魂を認めてのことではなく、いまは亡き、或いはいま在るいのちに
対する懺悔と感謝と報恩と、みずからの寂もりのセレモニーであり、亡きものに対するいま在る者の思いや
りと祈りであると、私は受け取っています。
釈尊在世当時も、巷間あまたの神々が信じられていました。人びとはこの神々から幸福を授かるために羊
や牛を犠牲に供え、時には人をも犠牲にすることがあったようです。そうすることによって、願いがかなえら
れると信じていたのです。釈尊はこのような人びとの行為は、悲しき迷妄であると目覚められたのです。
そして、当時の人びとが信ずる思想や宗教が誤っていることを覚り、「法」と「縁起」という独創的見解から
「仏道」という実践行が展開されました。人間関係によって起るさまざまの苦悩の根を突き止めて、その除
去の方法を覚ったのです。
過去世に於ける善悪の行為の余力(業)を荷う霊魂が、現世、未来世と止ることのない車輪の如く渡ると
いうバラモン教の三世輪廻説は、現世の身分階級差別を肯定して、現世での改革を否定するものです。
釈尊滅後、約五百年ほどして、仏教を追放したインド社会は、二千年後の現在、この問題にあえいでい
ます。釈尊は、当時の人びとの心を深く支配していたこのような三世輪廻説を、無我の法から引き出され
た縁起説によって打破し、身分階級制打破を現実のものにした教団を設立しました。そして説法行脚の
旅が続けられたのです。
まず仏とは釈尊であり、仏陀となった釈尊は、人間として完成された歴史的人物であって、いたずらに
神秘化してはならないでしょう。釈尊がなにを如何に苦悩し、どのようにして苦しみと迷執を克服していっ
たかを、わたくしたちはこの現代社会にあって、この身に受けとめていかなければならないと思います。


人はすべて法に目覚めて仏となる

久遠実成の釈迦牟尼仏を拠り所として
前項では応身仏と称せられる歴史的人物としての釈尊について述べました。
思いますに、人生はこのように生きれば楽なのだと気付かれたのが、釈尊のお悟りであると言えましょう。
それは、ニュートンが、誰でも知っているリンゴが樹から下に落ちるという一事実から、万有引力の法則を
発見したように、釈尊は、暁の明星を一見して、おのずから見出された真実でありました。
悪魔に魂を売って若返った、かのゲーテの著『ファウスト』のファウスト博士のように、私たちも「時間よ止
れ」と叫びたくなるときもあります。しかし、時は刻々に流れてまいります。最も身近で、自分の意のままに
なりそうな、わが身すらも老い朽ちていくのをどうしようもないし、わが思いのままになるものは何一つありま
せん。このことは、この世に存在するすべてのものの厳たる存在の理法であって、諸行無常、諸法無我の
法以外に常住不変の法はなかったのです。
もろもろの現象は生じては滅びる。だからこそ緊張が生まれ、そこに精進努力があり、成長もあり得るので
あり、一時いっときが、かけがえのない尊いものと受け取れるのであります。桃紅李白と妍を競い、繚乱と
咲き誇る花々も、そのいのちは短くて、「花は愛惜に散り、草は忌嫌に生ずる」この無常の現象に日夜接
しつつ、しかも厭世観に落ちなかった釈尊が偲ばれるのです。
釈尊が末後に臨んで「法灯明、自灯明」と示されたことは、つとに知られるところです。
「私の説いた真理と、その真理に目覚めている君たち自身を拠り所としなさい」と説かれたのであって、
釈尊ご自身すらをも頼りにせよとはいわれなかったのですが、釈尊滅後、釈尊の教えが詳細精緻に分析
され、教義が煩雑化するにつれて仏教の生命が失われ、信心が涸れ、人びとの生活から仏の教えがか
け離れたものになってきました。こんなとき、在りし日の釈尊を偲び、慕う人びとは釈尊の遺骨を祀る仏塔
に集まるようになりました。
人それぞれに、さまざまな問題をかかえて、釈尊の舎利に相見した人びとは、釈尊の教えの本意、お悟
りそのものに深く思いを寄せたことでありましょう。
かくして、生身の釈尊を超えて永遠の過去に於いてすでに成仏し、永遠の未来に向って、生れ変り死に
変りして、いまなお一切衆生を救済しつづけてやまない悟りそのもの、真理そのものとしての釈尊が、い
きいきと蘇って来て、これを久遠実成の釈迦牟尼仏と名づけました。(『法華経』)
仏教の始源を歴史的観点から見ますなら、仏教は、仏陀となった釈尊から始まったのですが、これを思
想的に見ますなら、仏教は釈尊が悟られた「理法」から展開してきました。
すなわち、久遠の過去から久遠の未来に向ってつづいていて、始めもなく、終りもなく、無始無終の無限
の時間を貫き、ここに在ってあそこにないというものではなく、どこにでも無限の空間に広がっている真理
を釈尊は悟って仏になられたのであるから、その真理そのものが仏であるということです。

すべての人は法にふれて仏となる
この真理(法)を身とする仏ということで、これを法身仏(ほっしんぶつ)といっております。この法身仏を具
体的にいいますなら、時間的にも空間的にも際限のないこの宇宙こそ法身仏でありまして、この宇宙に遍
満する宇宙大の仏がおられることになります。
これを更に人格的表現しましたのが、ビルシャナ仏であります。ビルシャナの原意は、太陽の如く輝ける
ものということで、ビルシャナ仏とは、理法そのものとして太陽の如く限りなく大光明を放って十方世界を遍
く照らしている仏ということになります。わが国では、奈良の大仏さんがビルシャナ仏でありまして、聖武天
皇のときに、可能な限り大きく造りましたが、本当はとてもとてもあの大きさに収まりきるものではありません。
『華厳経』、『梵網経』などによりますれば、ビルシャナ仏は、百千億の釈迦仏に応化して、この宇宙世界
のすみずみの、すべての衆生の済度するために出現されると説かれていまして、その中のお一人が、こ
の地球に現れたお釈迦さまであります。
このことは、すべての人びとは仏の教えにふれ、法に目覚めて仏になれる機会に恵まれているということ
で、すべての人びとが仏になれるということは、すべての人びとには「仏心」が具えられているということで
す。
ここを経典は「一切衆生悉有仏性」と示し、わが白隠禅師は『坐禅和讃』を「衆生本来仏なり」で始められ
るのであります。これは大乗仏教の旗じるしであると共に、大乗仏教の根源なのであります。
一神教文化で育った外国人が不審に思うことの一つは、クリスマスにはクリスマスを祝い、正月には神社
に詣でて拍手を打ち、お盆には仏壇に手を合せる多くの日本人の心情であります。
たしかに、宗教マニアの如き、宗教的無節操はいましめなければなりません。日本仏教徒は仏教徒とし
ての、しっかりした自覚と思想を持つべきであります。しかし、一見、宗教的無節操とも思える在り方は、
古来、山にも海にも神を見て来た日本人の心情が、久遠実成の釈迦無尼仏思想と合体して純熟した、
寛容な宗教観から来ているとも言えるのです。
悟りの眼からすれば、すべては仏と眺められる。この視点からすれば、日本の神々も、イエス・キリストも、
孔子も孟子も、共に菩薩とみることができましょう。
仏教徒の立場からすれば、キリストも人間の真実を見た菩薩であり、日本の神々は、煩悩しげき肉体から
いまはその身をなくして、清浄にかえった祖先としての仏と見ることができるのであって、こうした認識が有
るか無いかは別にしても、これが日本人一般の心情でありましょう。
すべては元来完成されたものであるという観点から、すべてを受容する心の発露であって、日本人の宗
教感情がおかしいのではなく、むしろ、世界の人びとも、こういう心の広場を持つべきでありましょう。世界
はいまやこのようにならなければ、真の平和的文化の創造はないのではないか。他を受け入れながら根
本を動かさない。これが日本仏教徒のあり方でなければならないと思うのであります。
宮沢賢治がうたっております。
  まづもろともに
  かがやく宇宙の微塵(ちり)となりて
  無方の空にちらばろう


あなた自身こそが三種の仏身である

永遠なる真理のいのちにまかせる
春ともなれば、草木花卉(草花)が一斉に芽吹き、さらに妍を競うが如く花を咲かせて、人びとの心を和ま
ます。
春は計らいなくして人を和らげ、意なくして万物を育成し、そのものの本性を損なうことなく全開させ、天
然、そのものならではの美しい装いを出現させます。
まことに造化の妙であり、われわれが、この世界の法(真理)の中に生かされていることを実感させてくれ
ます。この法こそ、大慈大悲の仏と受け取れるのでありまして、この仏は、宇宙に充満している法を身と
していますから、これを法身仏といいます。またビルシャナ仏と呼ぶことは、先に申しました。
歌人で美術史家であり、書家でもあった会津八一は、東大寺のビルシャナ仏大坐像を仰ぎ見た感動を、
  おほらかに
  もろての ゆび を ひらかせて
  おほき ほとけ は
  あまたらしたり
と詠んでおりますが、まさに天地に充満して、天より垂れ給うたと読み取れる表現が、ビルシャナ仏を身
近なものとして、感じ取れるのであります。
大自然に朽まずして薬草が存在するように、この世界の法は、病いに呻吟する人びとを癒し尽さずばお
かないという願いを持っていると受け取れるのでありまして、この法を、病むものを癒さずば仏にならぬと
誓われた大医王仏と拝めるのであります。また別名を薬師仏と申します。
また、こころ悩む者には、身を千変万化させて、友となり師となって接したもう観世音菩薩と拝めます。
そして、あたかも子をおもう親のように、常に人びとをつつみ込んでいるこの法を、五劫という永い時間を
かけて、如何にして衆生を救おうかと考察し、死後の不安に心落ちつかぬ人びとに、真理の命は永遠
であり、このいのちにまかせるなら、なにも不安はないと決定させ、兆戴永劫にわたる衆生済度の実践
をされているアミダ(限りないいのちと光の)仏と拝することができるのです。
これらの限りない衆生済度の実践の果報によって仏になられたということで、これら諸仏を、報身仏(ほ
うじんぶつ)と呼ぶのです。
そして、この娑婆世界に住まうものたちを済度するために、その悩みに応じて、現実の人間に化身され、
人間の肉声を以て法を説かれたのが、釈尊であり、祖師方であると拝せます。この方々を応(化)身仏
(おうじんぶつ)と呼ぶのです。

仏の三身は一心に帰する
亡くなった方を「ほとけさん」と呼ぶことがありますが、生前は迷妄の発生源でありました肉体を失った
今は迷いも失せ、生ずることもなく、仏の世界に還られた、という生存者の思いから、敬意を表して
「ほとけさん」と呼ぶのです。
以上のように、大乗仏教教学では、仏を三つに分けて説くのですが、わが臨済禅師は、この仏の三身
は、われわれの一心に帰することを示されていまして、われわれに、また別調の風に吹かれる趣きを
与えてくれます。
「経綸の専門家は、この仏の三身を仏法の究極としている。しかし、そうではない。君たちの心に具わ
った清浄の光が、君たち自身の法身仏なのだ。君たちの心に具わった思慮分別を超えた光が、君た
ち自身の報身仏なのだ。また君たちの心に具わった差別の世界を超えた光が、君たち自身の化身仏
なのだ。この三種の仏身とは、今わしの面前で説法を聴いている君たちそのものなのだ」
信じるも信じられぬもない、無条件の疑う余地のないこの真理の世界に身を投げ入れて、清浄な自己
の心にいるなら、そのわたしたちの心が法身ビルシャナ仏であり、現実の環境の中で、人びとと痛みを
分かち合い、楽しみを共にし、利害損得の分別心を超えて無心に力を合せて、社会に奉仕することが
できるならば、そのわたしたちの心が、報身観世音菩薩、地蔵菩薩であり、自他の区別を超えて、世
界と自己とは一つのものであるという自覚から、仏国土の建設にはげみ無我でいることができるならば
そのわたしたちの心がほかならぬ化(応)身仏だということであります。
畢竟、仏の三身とは、釈尊成道のお悟りの心から生れたものであり、仏典に説かれる十方三世の諸
仏諸菩薩方は、釈尊のお悟りの心の人格化であります。
そして、臨済禅師は「この三種の仏身とは、今わしの面前で説法を聴いている君たちそのものなのだ」
と直指して、とかく自らを信じきれない自信不及の仏道を学ぶ者たちが、外に仏を求めようとする愚か
しさを叱咤して、釈尊のお心とわれわれの心とが、別物でないことの自覚を促して止まないのです。
これまた、臨済禅師の大慈大悲の仏心の現れであります。



 
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