盤珪自筆の書 盤珪自筆の書

 
   

親が、生みつけてくれたは、仏心一つでござる。
その仏心は、まこと不生にして、霊明なるもので、
これのみにて、人間一切が調いまする。

人は生まれながらにして仏心を具えています。
仏心は不生にて、迷いも悟りも生死もない「不生の仏心」で暮らすように説かれました。漢語を用いず
日常の話し言葉で民衆に広められた「不生禅」は、現代人の心を、今一度、本来の姿に引き戻して
くれる力を持っています。


             
     
    盤珪禅師行業曲記では、和尚が悟りを得た様子を「一朝出て盥漱するに當りて、微風梅香を
襲ふ、恍然として大悟す、桶底の脱するが如し」と記されています。つまり、永年の疑問は一
ぺんに氷解しカラリと桶底の脱げるような心境を得て、大悟徹底したのみならず、病気もすっ
かり治ってしまったというのです。
「やれ、一切の事は“不生”の一字で調うものを、今日までそれを知らずに、さてさて無駄骨を
折ってきたことだ」と気づかれたのでしょう。桶底の脱げるが如き大悟の境地を、この「不生」と
いう言葉で表現されるようになりました。
勿論、不生の語は、伝統的にすでに用いられていますが、不生という一貫した思想性を表した
この「不生」という言葉はまことに独創的です。
 
   
 
 
 法 話
  第1の章
  第2の章
  第3の章
  盤珪和尚の不生禅の特徴をみると、次の四つがあげられると思います。
第一は、思想の一貫性であります。
一切事は「不生」の一字で調うではないか、といつでも、どこでも、不生を説きつづけられた一貫性
は実に見事というべきでありましょう。
二番目の特徴は、直指人心 見性成仏という達磨大師の禅に直結していることです。
心の不安に悩んで、達磨大師に教えを乞うてきた弟子の慧可に“その不安な心をもってきなさい”
と云って、今の心を直指して悟らせた達磨大師に直結した「直指禅」ということです。
三番目が、平語で禅を説かれたことです。
むつかしい漢語を使わないで日常語で禅を説かれたことの意義は大きく、この果たした役割は画期
的なものであります。
四番目の特徴は、徹底した民衆禅であったということです。
盤珪さんの人となり、教えにひかれて大名諸侯をはじめ多くの修行者が参じてきたということは知ら
れるところでありますが、多くの民衆から仰がれ慕われつつ、民衆のなかに禅を広められたその功績
は多大なものがあります。