|
1622
1633
1635
1637
1638
1641
1645
1647
1648
1651
1652
1654
1655
1657
1659
1661
1669
1671
1672
1674
1675
1678
1682
1688
1690
1693
|
(元和 8)
(寛永10)
(寛永12)
(寛永14)
(寛永15)
(寛永18)
(正保 2)
(正保 4)
(慶安 1)
(慶安 4)
(慶安 5)
(承応 3)
(明暦 1)
(明暦 3)
(万治 2)
(寛文 1)
(寛文 9)
(寛文11)
(寛文12)
(延宝 2)
(延宝 3)
(延宝 6)
(天和 2)
(元禄 1)
(元禄 3)
(元禄 6)
|
|
3.8 播磨(兵庫)浜田郷の儒医の子として誕生
郷塾で『大学』の句「明徳を明らかにする」を疑う
生家菩提寺の西方寺で寿欣上人より浄土の教えを学ぶ
近郷の稲富山円融寺の快雄法印より真言の教えを学ぶ
赤穂の臨済宗随鴎寺の雲甫全祥に得度、永琢と改名
「明徳」の疑問が解決せず、4年間の初行脚に出る
赤穂に帰り、野中の草庵にて昼夜不臥の三昧に没入
苦修のため瀕死の重病となるが、梅香をかいで大悟
美濃(岐阜)地方に再行脚。3年間、玉竜庵に住する
長崎の崇福寺にいた明僧の道者超元のもとで修行
省悟し、道者の証明をえて帰郷、のち吉野山に入る
岡山の三友寺に赴き、陽明学徒と対論し、承服させる
超元と再会、平戸藩主の松浦鎮信より敬信せられる
11月、牧翁祖牛(雲甫の法嗣)より印可を受ける
妙心寺前版職となり「盤珪」の道号を称する
郷里の浜田に天徳山龍門寺を創建し、開山となる
大洲(愛媛)藩主が如法寺を創建し、盤珪は開山となる
如法寺の奥旨軒に20余名の弟子と籠り、参究させる
妙心寺第218世として紫衣を賜わり、開堂式を行なう
京極侯など、江戸詰め諸侯、師に禅要を問う者多し
丸亀(香川)の宝津寺の入仏供養に出る
養性院の発願で江戸麻布に光林寺を創建する
山科(京都)の地蔵寺に150人とともに冬安居の結制
平戸の松浦侯の請により、普門寺で60人と安居
2月 東山天皇より「仏智弘済」の禅師号を賜わる
8月 丸亀宝津寺にて説法
9月 龍門寺の大結制(1300人)
3月 美濃、名古屋を経て江戸へ
6月 龍門寺に帰る
8月 最後の説法をし、9月3日に入寂する
|